2017年10月31日
行動のムダをなくすには?
私のブログ、
中国語の話かと思えば最後は二胡の話に繋がってたりする。
関係ないやと思って読むのをやめた人は、
アンパンをかじってあんが見えず、だだの味つけパンか、と食べるのをやめたのに似てる。
で、今回のだべり話題。
テレビで東大生の母が言ってた。
「漢字を10回ずつ書かせるとか、しょうもない宿題出して時間を取らないでほしい。もう漢字は分かってるし覚えてるのに、うちの子にはだだの時間浪費でしかない。ほかの勉強をする時間が奪われる。」
そりゃそうだ。
個人差がある。
私も小学校の頃、漢字10回ずつとかいう宿題をやっていたが、
小学生なので、ただ単にコキコキ書くだけで、今思えば意味がなかった。
覚えようとかいう意識がないのだから。
中学校の頃、毎回英語の時間に単語テストがあった。
毎回10コずつ。
それの方が意味がある。
覚えるために何回も書こうが、読もうが、見ようが、
そのやり方は個人個人違うが、覚えればいい。
だから、今、中国語教室ではミニテストをしょっちゅうやるようにしている。
漢字10回書いたところで、20回書いたところで、100回書いたところで、
覚えようという意識がないのなら意義は薄い。
ま、数書いているうちになんとなく記憶に残るってことはあるだろうが。
二胡の場合、
漢字とは違い、
数やれば身につくということがある。
それにしても、
そこへ意識が入ったら、
それは最強のものになる。 続きを読む
中国語の話かと思えば最後は二胡の話に繋がってたりする。
関係ないやと思って読むのをやめた人は、
アンパンをかじってあんが見えず、だだの味つけパンか、と食べるのをやめたのに似てる。
で、今回のだべり話題。
テレビで東大生の母が言ってた。
「漢字を10回ずつ書かせるとか、しょうもない宿題出して時間を取らないでほしい。もう漢字は分かってるし覚えてるのに、うちの子にはだだの時間浪費でしかない。ほかの勉強をする時間が奪われる。」
そりゃそうだ。
個人差がある。
私も小学校の頃、漢字10回ずつとかいう宿題をやっていたが、
小学生なので、ただ単にコキコキ書くだけで、今思えば意味がなかった。
覚えようとかいう意識がないのだから。
中学校の頃、毎回英語の時間に単語テストがあった。
毎回10コずつ。
それの方が意味がある。
覚えるために何回も書こうが、読もうが、見ようが、
そのやり方は個人個人違うが、覚えればいい。
だから、今、中国語教室ではミニテストをしょっちゅうやるようにしている。
漢字10回書いたところで、20回書いたところで、100回書いたところで、
覚えようという意識がないのなら意義は薄い。
ま、数書いているうちになんとなく記憶に残るってことはあるだろうが。
二胡の場合、
漢字とは違い、
数やれば身につくということがある。
それにしても、
そこへ意識が入ったら、
それは最強のものになる。 続きを読む
2017年10月30日
C調の覚え方
C調、
苦手?
ややこしいっスよねー
でもC調って、実は王道
なぜなら、本当の音なんです。
レといえば本当にレの音。
今までは違った。D調ならドとか言っても実はピアノでいうレの音だった。
でもC調はピアノの音通りなんです。
C調は開放弦、内弦レ2、外弦ラ6。
ところがややこしいのが、要するに手の位置が決まってない問題。
D調なら、2は一指、3は二指とか、例外以外はまあもう決まってた。
C調はぐちゃぐちゃでしょ?
さっきはソは一指だったのに今度は二指と思ったら三指の時も、と一曲の中にいろいろ混じってる。
頭の中混乱しますね。
で、どこかわからなくなる。
ということで、C調を取りやすくなる考え方。
まず開放弦、2&6 であることは必ず覚えましょう。
そして、前提として、
D調やG調で三指の位置=ポジション移動してる位置
ここって、もうおなじみの位置になってません?
これを上から数えてやっと押さえられる人は論外。
二ポジはここって、さっと分かってることが前提。
私はここをおなじみの場所と呼んでいます。
上から数えてる人、
もう覚えてくださいよ、
この位置は最寄り駅レベルです。
最寄り駅が分からないとどこにも行けません。
よく二胡に印をつける人、つけるならここです。
で、このおなじみの位置が、
C調は 内弦5 外弦・2
これを覚えてください。
この位置は
上式なら三指
下式なら二指
二ポジなら一指
で押さえることになります。
でもそんなややこしいことは考えなくてOK
楽譜に何指か書いてあるので。
おなじみの位置をその指で押さえに行けばいいだけ。
開放弦とおなじみの位置が何の音か覚えていれば、
あとの音はその前後だから分かるはず。
6ならその下に決まってるし、
・1ならその上に決まってる。
おなじみの位置、最寄り駅にしてね、
そして、最寄り駅はほかの調でも役に立つよ、
ほかの調ならその位置は何の音か、覚えておくと、まあ音が取りやすいこと。
これ、級が進むにつれて必要。
今から覚えておけ!
各調の開放弦とおなじみの位置の音、
これくらいは覚えること!
これも覚えられへーんとか言ってたら
自分家の番地覚えられへーんって言ってるレベルだぞ。
次回は、
C調が分からない人のために、
C調のポジションを説明します、
そんなん知ってるわって人は見なくていいぞい。 続きを読む
苦手?
ややこしいっスよねー
でもC調って、実は王道
なぜなら、本当の音なんです。
レといえば本当にレの音。
今までは違った。D調ならドとか言っても実はピアノでいうレの音だった。
でもC調はピアノの音通りなんです。
C調は開放弦、内弦レ2、外弦ラ6。
ところがややこしいのが、要するに手の位置が決まってない問題。
D調なら、2は一指、3は二指とか、例外以外はまあもう決まってた。
C調はぐちゃぐちゃでしょ?
さっきはソは一指だったのに今度は二指と思ったら三指の時も、と一曲の中にいろいろ混じってる。
頭の中混乱しますね。
で、どこかわからなくなる。
ということで、C調を取りやすくなる考え方。
まず開放弦、2&6 であることは必ず覚えましょう。
そして、前提として、
D調やG調で三指の位置=ポジション移動してる位置
ここって、もうおなじみの位置になってません?
これを上から数えてやっと押さえられる人は論外。
二ポジはここって、さっと分かってることが前提。
私はここをおなじみの場所と呼んでいます。
上から数えてる人、
もう覚えてくださいよ、
この位置は最寄り駅レベルです。
最寄り駅が分からないとどこにも行けません。
よく二胡に印をつける人、つけるならここです。
で、このおなじみの位置が、
C調は 内弦5 外弦・2
これを覚えてください。
この位置は
上式なら三指
下式なら二指
二ポジなら一指
で押さえることになります。
でもそんなややこしいことは考えなくてOK
楽譜に何指か書いてあるので。
おなじみの位置をその指で押さえに行けばいいだけ。
開放弦とおなじみの位置が何の音か覚えていれば、
あとの音はその前後だから分かるはず。
6ならその下に決まってるし、
・1ならその上に決まってる。
おなじみの位置、最寄り駅にしてね、
そして、最寄り駅はほかの調でも役に立つよ、
ほかの調ならその位置は何の音か、覚えておくと、まあ音が取りやすいこと。
これ、級が進むにつれて必要。
今から覚えておけ!
各調の開放弦とおなじみの位置の音、
これくらいは覚えること!
これも覚えられへーんとか言ってたら
自分家の番地覚えられへーんって言ってるレベルだぞ。
次回は、
C調が分からない人のために、
C調のポジションを説明します、
そんなん知ってるわって人は見なくていいぞい。 続きを読む
2017年10月28日
左手仕様二胡
二胡を右膝に置いて弾く、左右逆にした二胡にされた方がいます。
楽器店に預けて左手仕様に変更。
帰って来たのを見ると、
デンペンが付け直してある。
でも軸はそのまま。
送料合わせて¥8000だったそうな。 続きを読む
楽器店に預けて左手仕様に変更。
帰って来たのを見ると、
デンペンが付け直してある。
でも軸はそのまま。
送料合わせて¥8000だったそうな。 続きを読む
2017年10月27日
よい音色のための意識とは?
よい音色の出し方、というと
絶対みんな興味ありますよね〜。
ま、このブログでも
いい音色の出し方みたいなのを話してますが、
ごくごく簡潔に
ま、これは私のやり方ってことになりますが。
一言!
“弓の毛で弦をこすってることを意識して音を出す”
です。
弓の毛で弦をこすって音を出す?
当たり前じゃねーか、ってことですが、
みなさん、二胡って弓の毛で弦をこすることで音が出てるって知ってますよね?
ということは、よい音色を出す秘密はというか、秘訣は、
ほとんどそこにあるっていうことですよね?
分かりますよね?
当たり前ですけど、気をつけてなくないですか?
けっこう 横に動かすこと=鳴らすこと
になってません?
もっと、弓の毛に意識を持って、
こすることに意識を向けて、
こすり具合に意識を向けて、
こすってる感覚に意識を向けて…
弓の毛って、一本一本にキューティクルみたいなのがあって、
それが引っかかって音が出てるんです。
そのキューティクルひとつひとつ引っかくのをイメージして、
引っかくけど、
やさしく、
じっくり、
噛みしめて、
味わって、
感覚を研ぎ澄まして、
落ち着いて…
音をつむぐ
音をつくる
音を味付けする
音の味見をする
分かります?
“弓の毛で弦をこすってることを意識して音を出す”
やってみ。
続きを読む
絶対みんな興味ありますよね〜。
ま、このブログでも
いい音色の出し方みたいなのを話してますが、
ごくごく簡潔に
ま、これは私のやり方ってことになりますが。
一言!
“弓の毛で弦をこすってることを意識して音を出す”
です。
弓の毛で弦をこすって音を出す?
当たり前じゃねーか、ってことですが、
みなさん、二胡って弓の毛で弦をこすることで音が出てるって知ってますよね?
ということは、よい音色を出す秘密はというか、秘訣は、
ほとんどそこにあるっていうことですよね?
分かりますよね?
当たり前ですけど、気をつけてなくないですか?
けっこう 横に動かすこと=鳴らすこと
になってません?
もっと、弓の毛に意識を持って、
こすることに意識を向けて、
こすり具合に意識を向けて、
こすってる感覚に意識を向けて…
弓の毛って、一本一本にキューティクルみたいなのがあって、
それが引っかかって音が出てるんです。
そのキューティクルひとつひとつ引っかくのをイメージして、
引っかくけど、
やさしく、
じっくり、
噛みしめて、
味わって、
感覚を研ぎ澄まして、
落ち着いて…
音をつむぐ
音をつくる
音を味付けする
音の味見をする
分かります?
“弓の毛で弦をこすってることを意識して音を出す”
やってみ。
続きを読む
2017年10月26日
本は残りカス?
輪扁(りんへん)は、『荘子』外篇の天運篇の最後に登場する「寓言」中の人物。輪扁とは、「車大工の扁」を意味し、「扁」が名。とても走りの優れた車輪を削り出します。
その寓言つまりお話を紹介します。
桓公(春秋時代・斉の第16代君主)が本を読んでいると、傍らにいた車輪職人の輪扁が、
「あなたは、どんな本を読んでいるのですか?」と尋ねた。
「聖人の経典だ」
「その聖人は生きているんですか?」
「とっくに死んでいる。」
「じゃ、あなたの読んでいるのは、古人の残り滓(カス)みたいなもんですね。」
「お前は、なんてことを言うんだ。どういう道理でそんなことを~。きちんと筋道の通った説明をしろ。出鱈目をいうと死罪にするぞ。」
「怒らないでください。私は車輪職人ですので、車輪作りに例えて説明させていただきます。車輪を作る時、手先だけで急いで削ると省力にはなるけどガタガタな車輪に仕上がります。ゆっくり、丁寧に心を費やして削ると車輪は圓くなります。車輪を作るには技術が必要です。削り方が早くても遅くてもダメです。その手と感覚だけが頼りになります。この不快不慢(早くもなく遅くもなく=急がず、考え過ぎず)は、心に手が応じた功夫(技、テクニック、コツ)。これを息子に伝えているのですが、まだ功夫が足りません。ですから、70歳になるというのに引退もせずに働き続けています。その本を著した聖人もまた、その知恵を言葉で伝えただけで、本質を伝授しきれずにこの世を去ったのではないかと思います。そんな訳で、聖人の残り滓だと申し上げたのです。」
師匠は弟子に、丸や四角という基本的なきまりを教えることはできますが、技術の高低は弟子の努力。武術にしても師匠は弟子に型を教えることはできますが、功夫は、自分自身の修行を通して実としていくもの。
本に書かれていることは貴重ですが、大切なのは、その本質を追及理解すること。本を暗唱できるからといって、本に書かれている事柄を掌握しているとは限りません。
言葉や文字で伝えることの難しさ、あるいは、書き残された知識は得られたとしても、そこに尽くされていない肝心な神髄は理解することができないことを意味する比喩として言及される話となった。
ーーということで、私のブログも残りカスですな。 続きを読む
その寓言つまりお話を紹介します。
桓公(春秋時代・斉の第16代君主)が本を読んでいると、傍らにいた車輪職人の輪扁が、
「あなたは、どんな本を読んでいるのですか?」と尋ねた。
「聖人の経典だ」
「その聖人は生きているんですか?」
「とっくに死んでいる。」
「じゃ、あなたの読んでいるのは、古人の残り滓(カス)みたいなもんですね。」
「お前は、なんてことを言うんだ。どういう道理でそんなことを~。きちんと筋道の通った説明をしろ。出鱈目をいうと死罪にするぞ。」
「怒らないでください。私は車輪職人ですので、車輪作りに例えて説明させていただきます。車輪を作る時、手先だけで急いで削ると省力にはなるけどガタガタな車輪に仕上がります。ゆっくり、丁寧に心を費やして削ると車輪は圓くなります。車輪を作るには技術が必要です。削り方が早くても遅くてもダメです。その手と感覚だけが頼りになります。この不快不慢(早くもなく遅くもなく=急がず、考え過ぎず)は、心に手が応じた功夫(技、テクニック、コツ)。これを息子に伝えているのですが、まだ功夫が足りません。ですから、70歳になるというのに引退もせずに働き続けています。その本を著した聖人もまた、その知恵を言葉で伝えただけで、本質を伝授しきれずにこの世を去ったのではないかと思います。そんな訳で、聖人の残り滓だと申し上げたのです。」
師匠は弟子に、丸や四角という基本的なきまりを教えることはできますが、技術の高低は弟子の努力。武術にしても師匠は弟子に型を教えることはできますが、功夫は、自分自身の修行を通して実としていくもの。
本に書かれていることは貴重ですが、大切なのは、その本質を追及理解すること。本を暗唱できるからといって、本に書かれている事柄を掌握しているとは限りません。
言葉や文字で伝えることの難しさ、あるいは、書き残された知識は得られたとしても、そこに尽くされていない肝心な神髄は理解することができないことを意味する比喩として言及される話となった。
ーーということで、私のブログも残りカスですな。 続きを読む