2014年11月29日
○さんは本当の上手い人なのかを見極めよう
前回と多少内容がかぶりますが、多くの人の中には、
さらさら弾ける=上手い
っていう感覚があるようです。
だからつい、1曲通して弾けるようになることを練習だと思いがち。
確かに、上手な人は間違わず、曲になっています。
また、曲がちゃんと弾けないなら二胡を弾けるってことにはならないしね。
そして、さらさら弾ける人を、「うまいね〜」と一目置く、崇める。
でも、
さらさら弾ける→上手い じゃなくて
上手い→さらさら弾ける なのよ。
さらさら弾けてたって、
手の形が悪い、保留指してない、弓の使い方が違う、音の立ち上がりが悪い、など、悪いとこだらけだったりするのです。
ま、例えば、
お箸は食べるための道具だから、最終持ち方なんてどうでも、食べものをつまんで口に運べればいい。っちゃそうだよな。
曲だって、音程とリズムと音色がちゃんとしてれば曲として聞けるし、弾き方がどうのなんて二胡やってる人でない限り知らない。
昔ボーリングに行った時、おじいさんがプレーしていた。ボールを胸に抱え込んで前のラインまで行き、ポロと胸から落とす。ボールはドスンと強烈な音を発した後、ゆっくりゆっくりとだが長いレーンをまっすぐ転がり、ピンを一本一本スロー再生のように倒し、ストライクを取る。1ゲームずっと、毎投、ドスンと強烈な音を立ててはストライクを確実に出す。ナイス。
皆さんはどう思うだろうか?
最終的な結果さえ得られれば、フォームなんてどうでもいいの?
だってきっと、違反行為でなければ、おじいさんは試合で好成績で優勝取ることもできる?
二胡だって、フォームがどうであれ、CD出せば、みんなに素晴らしい音楽を提供できる。
でも、それでいいのかな?
さらさら弾ける=上手い
なら、我流でいいってことだよね。
ま、プロになればそれは流派となって、認められるのだろう。
でも、それ以外はどうだろう?
まして発展途上人なら。
みんなはそれを褒めるの?
または褒められたいの?
さらさら弾ける、の中身を見てほしい気がする。
そして、さらさら弾けるための練習はやめてほしい。
さらさら弾けるようになりたいなら、上手になって結果的にさらさら弾けて。
続きを読む
さらさら弾ける=上手い
っていう感覚があるようです。
だからつい、1曲通して弾けるようになることを練習だと思いがち。
確かに、上手な人は間違わず、曲になっています。
また、曲がちゃんと弾けないなら二胡を弾けるってことにはならないしね。
そして、さらさら弾ける人を、「うまいね〜」と一目置く、崇める。
でも、
さらさら弾ける→上手い じゃなくて
上手い→さらさら弾ける なのよ。
さらさら弾けてたって、
手の形が悪い、保留指してない、弓の使い方が違う、音の立ち上がりが悪い、など、悪いとこだらけだったりするのです。
ま、例えば、
お箸は食べるための道具だから、最終持ち方なんてどうでも、食べものをつまんで口に運べればいい。っちゃそうだよな。
曲だって、音程とリズムと音色がちゃんとしてれば曲として聞けるし、弾き方がどうのなんて二胡やってる人でない限り知らない。
昔ボーリングに行った時、おじいさんがプレーしていた。ボールを胸に抱え込んで前のラインまで行き、ポロと胸から落とす。ボールはドスンと強烈な音を発した後、ゆっくりゆっくりとだが長いレーンをまっすぐ転がり、ピンを一本一本スロー再生のように倒し、ストライクを取る。1ゲームずっと、毎投、ドスンと強烈な音を立ててはストライクを確実に出す。ナイス。
皆さんはどう思うだろうか?
最終的な結果さえ得られれば、フォームなんてどうでもいいの?
だってきっと、違反行為でなければ、おじいさんは試合で好成績で優勝取ることもできる?
二胡だって、フォームがどうであれ、CD出せば、みんなに素晴らしい音楽を提供できる。
でも、それでいいのかな?
さらさら弾ける=上手い
なら、我流でいいってことだよね。
ま、プロになればそれは流派となって、認められるのだろう。
でも、それ以外はどうだろう?
まして発展途上人なら。
みんなはそれを褒めるの?
または褒められたいの?
さらさら弾ける、の中身を見てほしい気がする。
そして、さらさら弾けるための練習はやめてほしい。
さらさら弾けるようになりたいなら、上手になって結果的にさらさら弾けて。
続きを読む