2015年06月25日
イタいのはいいか?2
実はイタいことは必要である。
演奏者が舞台に立つのだって、先生になるのだって、イタさがなければなれない。
だから、私も実はイタい奴なのだ。
さて、イタいのがいいかどうか?
話は変わるが、私は『少林寺三十六房』という映画が好きだ。
この中の主人公もイタい奴だった。武術を習いに少林寺に入った時、三十五房のうち、どこに行きたいかと聞かれ、頂点の房を希望し、達人に気だけで吹き飛ばされ、自分のイタさが分かり、0からやる場面がある。
また、街で腕自慢の者がその力をうまく使えていないのを見た時、すっかり達人になった主人公が、ちょっとした指摘を与えると、その人がたちまち素質を発揮する場面がある。
私の論議の結論はこうだ。
イタいままではいけない。
誰かが指摘をしてあげるべきだ。
イタい奴は指摘されてショックを受け、なえるのではなく、
その自由さと自信を保ちつつ、レベルの高い人に教授してもらうべきだ。
イタい奴に実力がついてくると、イタい奴(場違い、勘違い)ではなくなる。
…ということは、やはりイタいのはよくない、ということかな。
その自分の世界に入り切った幸せは多少壊れるが、イタい奴からすごい奴に進化が望める。 続きを読む
演奏者が舞台に立つのだって、先生になるのだって、イタさがなければなれない。
だから、私も実はイタい奴なのだ。
さて、イタいのがいいかどうか?
話は変わるが、私は『少林寺三十六房』という映画が好きだ。
この中の主人公もイタい奴だった。武術を習いに少林寺に入った時、三十五房のうち、どこに行きたいかと聞かれ、頂点の房を希望し、達人に気だけで吹き飛ばされ、自分のイタさが分かり、0からやる場面がある。
また、街で腕自慢の者がその力をうまく使えていないのを見た時、すっかり達人になった主人公が、ちょっとした指摘を与えると、その人がたちまち素質を発揮する場面がある。
私の論議の結論はこうだ。
イタいままではいけない。
誰かが指摘をしてあげるべきだ。
イタい奴は指摘されてショックを受け、なえるのではなく、
その自由さと自信を保ちつつ、レベルの高い人に教授してもらうべきだ。
イタい奴に実力がついてくると、イタい奴(場違い、勘違い)ではなくなる。
…ということは、やはりイタいのはよくない、ということかな。
その自分の世界に入り切った幸せは多少壊れるが、イタい奴からすごい奴に進化が望める。 続きを読む