楽しいと苦しい
ボランティア活動をしている生徒さんが、こんな質問をした。
「私は、音がずれているならしっかり指摘して直したり、質の良い演奏を、どこまでも追求して練習するべきだと思うんですが、楽しくやるのが一番大切で、あまり厳しく要求される練習は苦痛を感じるという人もいるんです。先生はどちらがいいとかいう考えをお持ちですか?」
さて、皆さんはどう思いますか?
もちろん、質の良い演奏を目指すことは必要、でもダメ出しばかりは苦しくなる、楽しいのがボランティア活動の鉄則。
一言で済ますなら、どっちも大切。
きっと、そのはざまで揺れてるぐらいがちょうどいいのかも。
みんなと活動するのは楽しい、でも質の良い演奏のために、今の自分より上のことができるようになるために、自分に少しだけムチ打って練習しなければいけない。っていう程度がちょうどいい。
楽しく、を大切にして、
誰も何も言わない。
グループの中には、音のズレを感じることが出来る人がいる、リズムのズレを感じることが出来る人がいる、でも、言わない。或いは、直るまで言い続けることをしない。
こんな感じで続けていくうち、どんどんぬるま湯状態で、質があがることはないだろう。
逆に、毎回厳密なダメ出しの声があがる。音に対して、またはリズムに対して鈍い人は、もうどう違うのかさえ感じられない。自分には合わせられそうにもないという自信喪失感や劣等感を感じる。
こういう人がやめていく可能性があるだろう。
仲間にやめてほしくないし劣等感も感じてほしくない、でも質向上はしっかり目指したい。
単純に言えば、価値観の違い。
楽しいを優先させて仲間感を味わうか、
質向上を優先させて演奏感を味わうか。
だから、そのグループの大半の価値観、考えに合わせるか、グループをやめるかだろう。
或いは、やめていく人がいても仕方ない。
私の考えは、
質向上は永遠に目指すべきで、この人は、音のズレを感じたなら毎回言うべきだと思う。
楽しい派は、楽しいを優先というのを名目に、ぬるいのが好きで、自分に甘いという本質を隠していると思う。
イヤミたらしく指摘する人もいるのだが、このタイプの言うことには中身がない。足引っ張らないでねとか、ちゃんと練習してねとか。本人の劣等感隠しのためで、人を下げることによって自分を上げている。こういう人は適当に持ちあげてるふりをしてスルーしていい。
しかし、質向上のために指摘する人は必要だろう。
ダメ出しの声がないグループは、ゆるりと落ちていく一方だろう。
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